大沢純一の折々の所感をお伝えします。
志向・思考
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児童手当50年にあたって普遍主義を考える
12月11日付の公明新聞土曜特集に「児童手当」について2人の識者にインタビューした記事が掲載されました。伺ったのは福井県立大学・名誉教授の北明美氏と、釧路公立大学経済学部・准教授の千田航氏です。
公明党の前身である公明政治連盟が1963年の第3回全国大会で掲げた児童手当制度の新設は、その9年後の1972年に第3子以降に月額3,000円を支給する制度として開始されました。それから来年1月で50年を経ます。
折しも先の衆院選で公明党が掲げた18才以下の子どもに所得制限なしで一律10万円を給付する「未来応援給付」が、その後の与党内で「所得制限あり」「5万円2回の分割給付」さらに「2回目はクーポンとして」という実施方法が示されたことに対して世論の大きな賛否がニュースなどでも連日報道されています。
こうした中で子どもを持つ家庭に恒常的に支給される「児童手当」制度について、あらためてその目的を整理する必要があると考え、制度の評価と今後のあり方について識者に聞いたのが今回の記事です。
以下はこの記事での両者の考えに対する私の見解です。
子どもを育てる場として家庭と社会の2つがあり、そのどちらでも国民全体でコストを負担するという考えが児童手当制度の前提になるのだと思います。そのもとに、家庭での子育てに対しては政府が口出しすべきではないので、その場合は使い途を限定しない「現金」での給付となり、社会共通のコストは個々がサービスを「購入」するのではなく、必要なときに無償でアクセスできるようにするというのが基本的な整理になるでしょう。
この特集もその視点で分けられています。つまり北名誉教授の論点は家庭面から論じられていて、千田准教授は社会的な面について言及されています。
そこで家庭への給付を考えれば、どの所得階層にとっても子育てが「経済的ペナルティー」にならないことが重要だという認識で政策を捉えるべきであり、だからこそ所得制限は馴染まないというのが北名誉教授の主張です。
それに対して千田准教授は社会全体で普遍的に子育てを捉える必要から所得制限はすべきではないと論じています。この中で「普遍主義を守っていくことが、社会保障の信頼と強化につながっていく」として金額の多寡よりも普遍主義を優先すべきと主張している点が重要です。
普遍主義とは、受給できる権利をある立場の人による審査や裁量で決められることなく、すべての人に提供されるとするものです。これについてはあらためて論じたいと思いますが、この普遍主義を公明党として今後さらに強く打ち出していかなければならないと考えます。(2021/12/11)
これからの時代の「新しい社会保障政策」(月刊「公明」12月号)
ベーシック・サービスの財源論と同じくらい重要なのが、このベーシック・ニーズの議論です。
赤松正雄 元・衆議院議員のブログより
赤松正雄・元衆議院議員のブログがBLOGOSに掲載されました。
赤松さんは公明党から新進党、そして公明党の再結党という激動の時代のなかで党の理論的支柱を担った方です。その立場から、ときに現在の党に対して辛辣な意見を述べられることも少なくありません。
今回のブログでも、公明党が自民党と連立政権を組んだことで、『得たものは多い 』が『失ったものも少なくない』と指摘し、『自民党の公明党化を目指してきたのに、気がついたら公明党の自民党化が進んでいたと言われないでしょうか』とこれまでの懸念を表明しています。
しかし今回のブログでは『ところが』と続け、この度の公明党全国大会で、党としてベーシック・サービス導入の本格的検討を表明したことに対して『快哉を叫びました』と大きく評価されています。
『税金のお話』
MMTという理論があります。世界では賛否の「否」の方が大多数だと思うですが、日本では支持している人がひたひたと広がっている印象があります。その理由を、僕は日本人のマインドに合っているからなのでは、と分析しています。
日本では年貢から始まって、租税とはお上に納めるものであり、その意識は今も変わっていないと思います。MMTの税に対する考え方も、それが通貨の価値をつくるものであろうが、インフレ調整であろうが、悪い行いを抑制する手段であろうが、お上に納めるものということに変わりがない。そこには税を各々が負担しあいながら協同して社会をつくろうという思想はないように見える。
仮にMMTが正しいとしても、僕が賛成できない一番の理由はそこにあります。