民主主義とは?選挙とは?

本日1月8日、立川市でも成人の日「成人を祝うつどい」が行われました。

成人になると様々な義務とともに権利をもつことになりますが、そのうちの一つ「選挙権」についてこれまで成人を機に啓発活動がされてきました。
ご存知の通り、昨年6月18日から18才選挙権が施行(実施)されましたので、今回成人式を迎えた人たちは今日を待たずに選挙権がありました。ですが啓発ということで今回も成人式の会場で「選挙のススメ」という冊子が配布されました。
今回の冊子もとても分かり易いので、何のために選挙に行くのか、ということはそれを読んでもらってもいいのですが、せっかくなので「選挙とは」「民主主義とは」ということについて私なりに考えてみたいと思います。

まずは「民主主義」ということを考えるにあたり、「国とは何のためにあるのか」というところから始めたいと思います。

国、国家とはどのような存在なのでしょうか。
「職業としての政治」を書いたマックス・ウェーバーによれば、暴力を許された存在、自由を奪うことを許された唯一の存在が国家というものです。
この国家=暴力装置という発言をして、これまで何人もの政治家が国民から非難を浴びてきました。しかし原理原則から言えば非難されるものではなく、重要で忘れてはならない視点なのです。

人は生まれながら自由であるはずです。人は自由に考え、行動する権利を持っています。しかし誰もが自由勝手に振る舞って権利ばかりを主張していたら、皆で安心して生活できません。そこで社会のルール(法律)ができました。

例えば交通ルール。皆が好き勝手に道路を通行するのではなく、日本では自動車は左側を走りましょう、というようなものです。これも一種の自由の制限です。

国家には、このように国民の自由を制限する権利があります。そしてそのルールを守れない国民に対しては、究極的には命を断つということもできる(つまり死刑です)のが国家です。(裏を返せば国家以外にはその権利はありません。)そしてルール違反した国民の自由を制限できるのが警察という存在です。

ですが、国家、国家といっても、国家という神様のような存在があるわけではありません。とうぜん誰かが国家を運営するすることになります。
その存在が王様である場合を王政、民衆である場合を民主政と呼びます。この国家の運営を民主政で行うというのが「民主主義」です。

独裁政治であれば、独裁者という一人の人物がルール(法律)となりますが、それ以外では何らかの合議を経てルールがつくられます。ルールは秩序をつくりだしますが、人の行動の制限もします。そして、どんな形でルールが決められたにせよ、その人の自由を奪うことができるという国家のあり方は変わりません。王政が暴力的で、民主政が理性的などということではまったくありません。暴力的か理性的かは政治形態で決まることではなく、あくまでもそれを運営する「人」「思想」で決まります。

ですから、そうした国家の暴走がおこらないように国民が監視しなくてはなりません。

その監視のシステムとして、三権分立という制度が考え出されました。その一つが議会で、その議員を通じて私たちは権力の監視という行為を履行しているわけです。
選挙とはその議員を選ぶ行為ですから、私たちの自由を制限できる国家の暴走に歯止めをかけるのが、選挙の目的の大きな一つでしょう。
これは忘れてはならない視点です。

では、そこで選ばれた議員の役目というのは何でしょうか。

議会の役割は大きく2つあります。
1つは法律(制度)をつくること。もう1つは税金の使い方を考えることです。

先程から述べているように、法律・制度というのは国民が暮らしやすくなるためにつくられます。しかしあまりに法律が多くなってくると、かえって生活がしづらくなることもありますし、商売(経済活動)に支障をきたすこともあります。その場合は法律を変えて、制度を緩やかにする必要があります(これがいわゆる「規制緩和」です)。こうして、時代に合わせて法律・制度をつくったり無くしたりするのが議会の仕事の1つです。

国というのは、みんなでお金を出しあって住みやすいものにしていこう、という存在でもあります。どのように出し合うのか。身近なところでは
「働いて給料が入ったら、収入に応じてお金を出し合おう」(所得税、住民税)
「物を買ったら、その金額に上乗せしてお金を出し合おう」(消費税)
というような約束(法律)をつくって、お金を出し合うことにしています。

では、その集めたお金を何に使ったらいいでしょうか。

戦後、何もない時代には住むところが新たに必要でしたし、住むところがつくられて町ができれば、町と町を繋ぐことで経済活動が活発になります。そのために道路、橋、鉄道などがつくられていきました。つまり公共工事です。そういった何もない時代には公共工事にお金を使うということが優先されましたし、それによって国民生活も向上しました。

あるいは教育も大変重要です。教育とは「可能性の開拓」、つまりどんな人も各々の能力を生かして人生を送れるようにするという国民に対する投資です。しかしある時期まで義務教育に必要な教科書さえ、各家庭で買わなくてはいけないという時代がありました。所得の低い家庭が教科書も満足に買えなければ、教育の平等にも反することになります。ですから、今では教科書というのは各家庭で購入する必要はなく、その分のお金は国で出しています。

しかしこのような政策も、誰もが必要と感じるわけではありません。

道路はいらない、という人もいる。なかには、教科書がタダだから勉強を一生懸命やろうと思わないんだ、と主張する人がいるかもしれません。
なので、その必要性を考える。みんなで集めたお金には限りがあるのだから、何に使って、何に使わないのかを議論するのが議会であり、議員の役割です。

議員にそのような議論を任せるわけですから、そこは自分の考えとできる限り同じ人を選ぶことになります。

どんな制度が必要で、どんな制度が必要ないと考えているのか。
何にお金を使うべきだと考えているのか。

これはどちらも、私たちの生活に直結するものです。
どんな議員を議会に送り込むかで生活が変わってしまうというのが分かるのではないかと思います。
選挙とは、自分たちの生活を左右する本当に大事なものです。

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