第15回 全国若者・ひきこもり協同実践交流会inとちぎ(2020/02/15-16)

【日時】 令和2年2月15日(土)~16日(日)
【会場】 作新学院大学(栃木県宇都宮市竹下町908)

【報告】

今回で15回目となる「全国若者・ひきこもり協同実践交流会」が作新学院大学を会場にして開催され、今回初めて参加した。

一般社団法人若者協同実践全国フォーラムが主催する研修会であるが、提起された課題はいじめ・不登校の問題から「8050問題」までと対象となる年代も幅広く、多岐にわたる2日間の研修となった。

1日目の前半は全体シンポジウムとして行われた。

最初に挨拶に立った福田・栃木県知事からは、知事本人が親族にひきこもり当事者がいること、さらに県内市民から知事に対して「8050問題」解決に向けた強い期待の声があることが言及された。そうした状況の下、栃木県では県内のひきこもりの状況を把握するため調査を行っていることが紹介された。

続く佐藤・宇都宮市長は挨拶で、現代の子どもたちが生きづらさを抱えているという認識を示し、若者を支援する対象ではなく、共に社会をつくっていく対象ととらえ、施策を展開していることが紹介された。

次に登壇した作新学院大学の渡辺学長は、栃木県内でひきこもりとされる市民がおよそ17,000人いることに言及され、そうした課題を解決するためには身近な支援のネットワークを行政だけでなく教育や福祉、医療機関さらにはNPOなどと協力しながら、身近なところで困っている人をサポートできる「開かれた体制」をつくっていくことが重要だとの認識を示した。

また、人間は一人では生きられるわけではなく、多くの繋がりをもって生存しているとして教育者・牧口常三郎氏の「平凡な一人の乳児も、その命は生まれたときから世界に繋がっているんだ」という言葉を紹介し、「繋がり」の重要性を指摘した。さらにネットワークの構築とともに、一人ひとりの意識を代えていくことが大切であるとして多様な人間が認め合い、寛容で利他的な精神をもっていくということが極めて重要だと述べられた。

その後、主催である一般社団法人若者協同実践全国フォーラム(JYCフォーラム)の共同代表である吉村信宏氏が「権利としての若者協同実践を目指して」と題して基調講演を行った。

講演で吉村共同代表は、現在の「生きづらさ」がなぜ引き起こされているのかについて言及。地域や社会に何が矛盾や間違いがあるはずだとして、今が時代の転換期であると初めに問題提起をした。

そのうえで、近代日本の歴史認識として明治維新以後の150年は工業化と都市化により「便利」「効率」を優先した画一化が求められた時代だと指摘。その結果は、豊かさを享受できるのは一握りの人だけとなり、自分だけが良ければという思いが加速してしまったのが今の日本ではないかとの認識を示した。

また、経済が大きくなることに最も貢献してきたのが競争の原理であり、それが発展の原動力となってきたのは確かであることを述べたうえで、経済が停滞してしまった現在では、その競争が対立を生み出し分断をつくっていると主張。そこから孤立という「競争の負の側面」が生み出されていることが現代であり、その源を見つめ直していくことが「協同実践」であると結論付けた。

その後に行われたパネル・ディスカッションでは、3名のパネリストからスウェーデンにおける若者による社会参画の取り組みが紹介された他、日本において若者が生きづらさを抱えている状況について、社会保障を軸に人権について議論が交わされた。

そこでは、これまで若者の生活保障は企業と家族にゆだねられてきたが、経済の停滞によって企業と家庭の包摂力が低下したと指摘。その結果、若者に対する保障が弱まっているとした。

さらに、これまで機能していた社会保障制度も機能不全が目立つとの主張もあった。その多くは予算削減による財源不足が原因だとしたうえで、その結果、人員が不足している現状のもと「断らない支援」を掲げながら断らざるを得ない実態があるとの課題も提起した。

そのように若者をめぐる社会福祉が「頼りない」なかでも、2000年代から若者支援政策(2003年「若者自立・挑戦プラン」)が行われてきたことは一定の評価をするが、その支援でさえも自立への意欲のある若者とそうでない若者との間に分断線を引いてきたとの主張もあった。また、最近は子ども若者育成支援推進法で総合的な相談ができる場所が増えてきたとは言えるが、現実として相談はできるが、それで安定した生活基盤が整うという状況ではなく、「生きていく条件整備」ができていないとの指摘もあり、そのもとで「相談しても無理」という声が当事者からあることを訴えた。

とくに若者支援といったときに、すなわちそれが「就学」し「就労」することでの経済的自立を目標としていることに関して、就学、就職することで生きることが安定するわけではない現実があり、新しい生き方を模索する必要性を示した。

全体会の後は一日目の分科会として「8050問題」について学んだ。

ひきこもりの問題を中心に、JYCフォーラム共同代表である立命館大学の山本耕平教授の他、佐野市役所に保健師として勤める津布久久枝氏や佐野市ひきこもりサポーターである太田八重子氏、同サポーターの横塚京子氏が登壇し、ひきこもり支援の取り組みなどについて報告した。

そのなかでは、支援の形として、今後の支援方法を担当者から伝える「提案型支援」が現場では多いと思われるが、それでは当事者との関係を悪化させてしまうことも少なくないことが報告され、当事者と支援の在り方については「一緒に」考えていくことが望ましいとされた。
また、佐野市の市民ボランティアである「ひきこもりサポーター」の取り組みが紹介された。その活動に対する参加者との質疑のなかで、ひきこもりの支援にあたっては、当人とその親に意識のギャップが発生し、とくに親が焦ってしまうことがあるとの指摘がされた。それに対して、支援者も当然結果(=就職)に繋げたいと焦ってしまうが、最も重要な点は「ゆるやかな変化を受け止める」ということであるとの見解が示された。
また、滋賀県高島市で若者の居場所づくりとして、ひきこもり当事者と高齢者が一緒に生活をしながら、パン作りを行い、スポーツイベントなどで販売しているという取り組みなども紹介された。

二日目は「自治体と民間団体の協同実践 共に“つくる”若者支援とは?」をテーマにした分科会に参加した。

ここでは栃木県子ども・若者ひきこもり総合相談センター「ポラリス☆とちぎ」の活動が紹介された。

平成26年10月に宇都宮市内に開所した県施設であるが、この事業はそれまであった「子ども・若者相談総合センター」(所管:県青少年男女参画課)と「ひきこもり地域支援センター」(所管:県障害福祉課)を統合したものである。ポラリス☆とちぎの副センター長である隅節子氏からは、このような部署を横断的に行っているのは全国でも少ないことが伝えられた。

今年で7年目を迎える同施設であるが、活動実績として平成30年度は相談件数が年間5221件であったとの報告がされた。これは過去最高であるという。その相談内容はひきこもりや不登校が多くを占めるが、昨年度としては精神疾患での相談が多くなっているのが特徴であることも示された。また、同センターでは来所の相談が難しい家族には出張での相談にも応じていという。先述のひきこもりサポーター事業は、このポラリス☆とちぎでも行われており、そうした出張相談の際には同席して今後の「身近な相談相手」になることを目指している。

しかし、実際には同席はなかなか難しいことも担当者から言及された。その理由は、小さい行政では匿名性の確保が難しいことが挙げられた。相談者としては、周囲に家庭の事情を知られたくないが、相談を受け止めるサポーターに地縁があると相談しにくいということが、その難しさにあるという。これについては、国(厚生労働省)から「地域で身近に相談できるところをつくる」ことを支援として提示されているが、実際の現場では簡単ではないとの感想が述べられた。

そうした「事情を周囲に知られたくない」という思いから、当事者家族もひきこもりを地域の人に相談することは少ない。その結果、行政が自治会にひきこもりの実態を尋ねても「うちにはひきこもりはいない」という回答がされる。しかし実際にはいるというケースは、栃木県内だけでなく全国でおこっているとの見解も示され、実態把握の難しさを認識した。

その後、NPO法人茨城居場所研究会を主宰し、茨城県と福島県でスクールソーシャルワーカー(SSW)としても活動する朝日華子氏から、子どもたちの「居場所づくり」の重要性について報告があった。

NPO法人茨城居場所研究所は、不登校を課題として活動している。

不登校に至る理由は、学校が楽しくないことや友達がいない等があるが、その反面で様々な理由から「家に帰りたくない」という子どももいる。高校生くらいになればアルバイトができることで、そうした時間があることが不登校に至らないためのエネルギーになっている場合もあるが、一方でそのような時間を持てない子どもも当然いて、そのようなときに、家庭と学校以外での居場所があることが重要なのだという。

報告では、そのような認識のなかで実施されている、学校での「居場所カフェ」という取り組みが紹介された。ここには在校生や先生のほか、退学した生徒も来ることができ、つながりを続けるための場所として提供しているということでる。そのような場を設けることで子どもたちから様々な話を聞くことができ、じつは日常的にご飯があまり食べられていないなどに気づくこともあるということであった。

【所感】

今回参加した交流会の講演や報告では、若者の生きづらさやひきこもりからの脱出には、就労に至る前の中間的な居場所が必要だというのが、共通する認識であった。

高度経済成長時代のような、今日よりも明日は良くなるという思いを持ちづらい現代にあって、働くことについて閉塞感を抱えているのが実情ではないだろうか。就労することも勤続することも困難を伴うなかで、ひきこもりから直ちに仕事に気持ちを向けることは至難である。

一方では、ひきこもり、あるいは不登校などについて、行政としての対応は就労や就学を目標として事業を組み立てる。しかしそれが当事者を追い詰めることになってしまうこともある。そうではなく、まずは当事者の話を聞きながら「ゆるやかな変化を受け止める」ということが最も重要だという指摘は、大いに参考になった。

「就学、就職することで生きることが安定するわけではない現実がある」という発言をきいたときには胸が痛む思いだったが、そうした現実と当事者の実感をしっかり受け止めて、居場所のない人がいない社会を作っていきたいとの思いを強くした。

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