広域連携サミットに参加して

今日の広域連携サミットで国立市長から、今後の9市広域連携について、「9市で100万(人)都市と考えるべき」との意見が出され、他の市長からも同様の見解が示されました。

話しの中で国立市長は、国立市からの転出を分析すると、多くはこの9市のなかでの移動であること。そうであるならば、人口の取り合いをするのではなく、広域での人口対策を考えるべきではないか、ということを述べていました。

これは一見うなづける話しのようですが、私はこれにはすぐに賛成できません。

これはあくまでマクロ、全体的な話だからです。

私は先日も立川市議会で主張したのですが、人口減少で困ることの一つが、地域コミュニティの維持が難しくなることです。行政もその活動に大きく頼っている自治会、町内会の加入者が減っていることは立川市でも長い間の課題です。ただでさえ減っているなかで人口が減っていけば、さらに加入者を増やすのは難しくなっていきます。

ですから、人口を維持すること、維持できなくても減少をゆるやかにすることはやはり必要であり、そのためにーーということを議会で主張しました。

でもこの主張さえも、じつはやはり建前論なんですね。自分で言ってしまいますが。

少子化対策が功を奏して、いますぐ出生率があがっても、それが社会に還元される・・・という言い方はあまり良くないかもしれませんが、生産年齢人口になるには、最低でも15年はかかるわけです。

ですから、現実には20年、30年単位で人口問題は考えなくてはならない。

そのときにコミュニティ維持ということで人口減少を考えたら、やはり人口の取り合いか、あるいは外国から人を呼ぶしかない。移民ということになるでしょうが、私の個人的な感覚として、今よりも急激に外国人が増えることを、まだ日本社会は受け容れられないのでは、と思っています。ですから、それを選択肢にしないとすれば、人口を取り合うしかないんです。

取り合うということは、一方が増えれば他方は減る。コミュニティを維持できる地域ができることで、維持できない地域も必ずできてしまうということです。

コミュニティ、つまり地域のつながりがいざというときの最大のセーフティネットであるということは、あの3・11以降、私たちはあらためて強く認識しました。

一方で、行政の活動を補完するということでのコミュニティ活動は、存続が難しいという現実。

私は、繋がることとコミュニティ活動は、分けて考えることが必要なのではないかと感じています。

これについては、まだ何の回答も持ち合わせていませんし、先進事例も知りません。もちろん現在の活動を否定するわけでもありません。

しかし、SNSの発達で私たちも一つの繋がる術を知りました。また、IoTの進歩に期待できることもあるかもしれません。

この辺りのアンテナをしっかり張っていきたいと思います。

豊洲問題を都議選の争点にすべきではない

豊洲市場へ移転の是非を、小池都知事が夏の都議選の争点にしようとしてる。

当初報じられたときには、私はメディア側の解釈だろうから字面だけで判断するのは避けたいと思った。しかし、いくつものメディアで同様な発言をしていることから、やはり本意なのだろう。

豊洲市場移転問題を都議選の争点にしてはならない。

争点化するということは、移転について知事が判断を避けるといことだ。豊洲に移転しようと築地で続行しようと、なにか問題がおきたときにも「民意」を楯に行政が責任を回避すことにもつながる。

移転の是非は豊洲が安全かどうかということだが、では老朽化が大きく進んでいる築地のままではたして食の安全は保たれるのか。

「これはもう政治の問題ではなく、科学的な問題であり、食の安全の問題」。これは小池都知事自身が言及していることでもある。

https://thepage.jp/tokyo/detail/20170112-00000003-wordleafv

小池知事は、14日の専門家会議(平田健正座長)で最終的な地下水モニタリング調査の結果が発表されると説明した上で、「これはもう政治の問題ではなく、科学的な問題であり、食の安全の問題。モニタリング結果も踏まえながら、これからの方針を決めていきたい」と述べた。

豊洲市場の移転問題は調査の積み上げで客観的に判断すべき問題で、決して感情論になってはいけない。感情論にしてしまえば、どちらに決まってもその後の風評被害につながっていくだろう。それでは誰も幸せにならない。

しかし先の発言をしたにもかかわらず、小池都知事は豊洲移転を争点化するといいだした。

争点にするということは、都民に対して、そういった調査結果の分析をさせ、判断させるということだ。自分の生活で精一杯な日常に、そのようなことができる方がどれほどいるだろう。20日の定例会見でも発言しているように、これは「理解してもらうのが難しい」問題なのだ。にもかかわらず都民一人一人にその判断を背負わせるのは、責任放棄であると言わざるをえない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170120-00000016-wordleaf-pol

報道陣からは、豊洲移転を白紙に戻す選択肢はあるのかなど、移転判断に関する質問が相次いだ。小池知事は会見中、何度も「安心」と「安全」という言葉を口にし、「安全性が数値で確認されてもほんとに大丈夫かという消費者の心理もある」。平田座長が豊洲市場の「地上」と「地下」は分けて考えるべきで「地上に関しては安全」との見解を示した点についても、「専門家の立場からそう言われた。しかし私は一般消費者の一人。理解してもらうのは難しい」との認識を示し、再調査を待ちたいとした。

シングルイシュー選挙は議会制民主主義の死

さらにこれは、議会制民主主義の根幹につながる問題でもある。

民意を問うということであれば、直接民主主義が一番いい。議員ではなく、国民、都民全員が課題について判断をし、投票をして多数決で決める。一番分かりやすい形だ。

では、なぜ議員、議会が必要かといえば、生活上の課題が多岐にわたるなかで、国民が一つ一つについて勉強し、課題を抽出して賛否を表明するなどというそんな余裕は、日常生活の中ではない。であるから、一定の代表(議員)を選んで、議会という場で専門的に審議をしてもらうことが、議会制民主主義だ。

日本において議会制民主主義のなかで国民投票という直接民主主義の形態があるが、憲法改正でしか制度化されていない。憲法改正という国の方向性を決める重要なことでは国民的な議論がなされるべきであり、そうであれば国民に直接是非を問うということを必要だとしているからだ。それでもその国民投票においては、前段で議会での審議が行われ、その議論の過程で国民に課題を提示するということが行われる。

一方で豊洲市場の問題は、客観的な安全性の問題で、安全が確保されれば移転し、確保できないのなら移転しない、ということだけだ。先に述べたように、安全性はあくまで数値の問題で、科学的に判断することであり、都のあり方を決める方向性の問題ではない。

さらに言えば、もし豊洲問題をシングルイシューとして選挙を行なえば、それは都議会の劣化につながる。

私はシングルイシュー選挙は議会制民主主義の死だと思っている。シングルイシュー選挙で有名なのは2005年、小泉政権のときのいわゆる郵政選挙だ。「郵政民営化に賛成か反対か」として、反対する勢力には刺客を送り込むといった手法は、メディアが飛びつき大きな話題となった。

一つの課題について是を問うシングルイシュー選挙。これは国民投票と同じだ。その時々に議題となったことについて、もしシングルイシュー選挙を行うなら、議会はいらない。郵政民営化賛成ということだけで国会議員となったいわゆる小泉チルドレンが、その後、議員としてその資質が問われたことは当然のことだ。

議会では広範囲に渡る課題が議論されることになる。私たち国民の課題は、ゆりかごから墓場まで様々であるし、性別によっても所得によっても地域によっても課題が異なる。それに対応するため議員には、3つの資質が必要であると思っている。

1、ビジョン(将来像)、ポリシー(政策)があるか
2、課題を抽出し設定する能力があるか
3、説明力と実行力があるか

我が身を顧みずに言っているのは百も承知だが、この3つがあって初めて、様々な課題・問題に対処していける政治家といえる。選挙とは、この資質を持つ者を選ぶものだ。

しかし、シングルイシュー選挙はこうした判断を必要とさせない。

先ほど述べた憲法問題など、我が国の方向性を決める根本的なものであれば、シングルイシューも争点足り得る。

しかし、郵政民営化も、そして豊洲市場も、これは数ある課題の一つに過ぎない。特に豊洲市場移転は何度も言うが客観的な判断の問題で、争点にしようがない。

もしそれを争点として選挙を行い、都民も争点として議員を選ぶようなことがあれば、都議会の劣化、都政の衰退に繋がるだろう。

シングルイシューは分かりやすいからこそ、都民の関心も向きやすいし、マルかバツかを問う選挙であれば、対立構造になりメディアも話題作りに事欠かない。

しかし、東京都の未来をつくるために都政を本気で良くしていきたいと都民一人一人が考えるなら、シングルイシュー選挙にのってはならない。豊洲問題を争点にすることは立ち止まって考えるべきことである。

横浜市は教育長を即刻更迭すべき

福島県から横浜市へ自主避難した中学1年生の男子がいじめを受けていた問題で、同級生に150万円を払わされていたことがいじめにあたるかということについて、20日、横浜市教育長がいじめという認定は難しいという見解をあらためて示したことが報道された。

“150万円の支払い” いじめ認定は困難 横浜市教委(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170120/k10010847081000.html

金銭要求「いじめ認定困難」=教育長が見解、原発避難-横浜(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012000839&g=soc

私は、横浜市の教育長、さらに第三者委員会とされる横浜市いじめ問題専門委員会の委員は、即刻辞任すべきだと言いたい。

なぜならこれは、いじめという認定が難しいのではなく、関係者がいじめを認定する能力がない、ということに他ならないからだ。

ここで教育長が述べている「いじめと認定できない」理由は、この150万円のやり取りについて、いじめた側といじめられた側双方にいじめという”共通”認識がない、ということ。これを根拠に「いじめと認定するのは困難」という見解を示しているようだが、これは教育委員会と第三者委員会に判断基準がないと言っているに等しい。

もし横浜市のいじめの「基準」が「被害者と加害者双方がいじめただという認識を有していること」などということであれば、そこは判断など必要なく誰でも裁定できる。多くの場合判断が必要になってくるのは、双方の言い分が食い違うからこそだ。言い分が違うから判断ができないのであれば、繰り返すが、教育長らに判断する能力はない。

さらに今回の件について、横浜市のいじめ問題専門委員会は11月、「おごりおごられる関係で、いじめとは認定できない」と判断したとの報告があったということだが、ここもまさに関係者の判断基準が大きく誤っている。

「おごりおごられる関係」は、中学生がどこまで他人におごる能力を有するのかということが大前提となる。年齢的に自分で稼ぐことができない以上、持つことのできるお金は親からの小遣いということになるが、150万円が小遣いの範囲でないことは誰でも分かる。また、「金銭授受はいじめから逃れるためだった」と認識しているのにもかかわらず、150万円をおごったものとすることの整合性もない。いじめから逃れるための手段であれば、そこに起因する金銭のやり取りがいじめから切り離されることは理解できない。

さらに言えば、被害者がおごったのではないと言っている以上、「おごりおごられる関係」は成立しないということも申し上げたい。

個人的なことであるが、私も小学6年生のときに恐喝にあった。市内のゲームセンターに立ち寄ったときに、違う学校の児童3人が私に「金をよこせ」と言ってきたのである。要求された額は「50円」。なんだ50円かと笑うかもしれないが、私にとってはとても悔しくつらい経験だった。それは、親がどういう気持で子どもに小遣いをあげているのかを感じていたからだ。小遣いの使い方を親から制限されたことはなかったが、喜んで欲しいという気持ちで小遣いを渡していたことは、子どもながらに感じていた。だからそのお金を取られたということが、親に申し訳なかった。心配も掛けたくなかったから、恐喝されたことを親に言うことはできなかった。

そのとき、もし誰かが事情を私とその3人に聞いたとして、その3人は「おごってもらった」と言ったかもしれない。けれど、当時の私にその認識はないし、現にその時のショックは小さくなかった。たかだか50円かもしれないが、それは私にとっていじめに違いなかった。

今回の教育長と第三者委員会の判断は、良く言えば公平さを重視しているのかもしれない。あくまでも客観的な判断ということを第一にしているのかもしれないが、いじめについて、それは大きな間違いだと強調したい。いじめられた側に寄り添いたいというようなことを横浜市長は以前の会見で述べているが、それはいじめられた側からの景色を見るという姿勢であるということを、どうか分かって欲しい。

「いじめはいじめた側が100%悪い」。その認識に立たない限りいじめはなくならない。私が横浜市長の立場なら、能力の問題として教育長をすぐに更迭するし、第三者委員会のメンバーも再検討する。また、もしこの横浜と同じような判断が立川市で行われたら、私は断固抗議する。

衝撃の国勢調査速報値

先週の26日、平成27年国勢調査の速報値が発表されました。

<平成27年国勢調査>
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka.htm

それによると、平成27年の立川市の人口は175,388人。前回22年の国勢調査が179,668人でしたので、実にこの5年間で4,280人の減少です。これは減少率でいうと5年前の人口比でマイナス約2.4%という結果で、東京都では隣の国立市のマイナス約3.0%に続く2番目に減少率が高いということになりました。また、単純に人口減少数としても、足立区のマイナス12,318人に次いで本市が4,280人で、これも2番目です。

一方で、立川市が発表した平成27年10月1日の人口――10月1日というのは27年国勢調査の期日ですが――その時点での人口は179,563人と発表されており、国勢調査の人数とはじつに4,175人の差が出ています。

この違いというのは、「住民登録」されている住民基本台帳上の数字と、実態を調べる国勢調査の数字の違いということで、つまり、住民基本台帳上は立川市に住所が残っているけれども、実際には市外に転出してしまっていて本市には住んでいない(あるいは住民登録していないけれど市内に住んでいる人も含めて)、その人数の違いが約4,000人いる、とこういうわけです。

これについて市長は、本日の市議会予算特別委員会で「私の体感と違う」と述べて、国勢調査が本当に実態を調査できているのかに疑問を呈しました。

本来、国勢調査というのは「全世帯」に家族構成などの回答を求めるものです。しかし近年はその回収率に課題があり、前回2005年の調査では、東京都の未回収率が13.3%にも上ることが明らかになっています。

<みずほ政策インサイト 2011年3月30日発行 P15参考>
http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/policy-insight/MSI110330.pdf

ところで、27年度から始まりました立川市の第4次長期総合計画ですが、このなかで「基本構想の前提」とされているのが、将来人口推計です。ここでは、平成27年の本市の人口は「179,090人です」というところから始まります。そして、本市でも人口減少が始まり、この長期総合計画が終わる、つまり目標年次としている平成36年に人口が4,498人減少して174,592人になる、という見通しで、この基本構想の前提が示されています。

議会でもそういった見通しを受けて、さあ人口減少が始まるからどうしよう、と地方創生ですとか、公共施設見直しといった議論が、この数字から議論がされてきたわけですが、その10年後に訪れるはずの人口の数字が、既にもう訪れていた、という結果が国勢調査によって出されたわけです。

今回は速報値で、年齢構成や市内地域ごとの増減などはこれから示されることになりますが、人口という前提が変わってくると、今後老朽化する公共施設の再編を含むあり方や、地方創生という取り組みに影響がでてくる可能性があります。

来年度予算の審議では、計画を修正していくとしても平成29年度で行うので、直ちに来年度予算に影響するものではない、との回答が行政からありました。

国勢調査の実態も併せて、この人口動向については、この後の調査結果を検証していきます。

供託金制度は廃止すべき

2/26の日経新聞4面に、公明党が被選挙権年齢の引き下げを検討する方針との記事が掲載されました。

○被選挙権年齢の下げ検討 公明、参院選で訴え
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS25H3R_V20C16A2PP8000/

昨年6月に選挙権年齢が18才以上と引き下げられ、今年の6月から施行されることになります。それにともなって「被選挙権」、つまり選挙に立候補できる年齢も引き下げることを公明党として検討することになりました。

これについては、昨年7月に日本若者協議会準備会と公明党青年委員会とのイベント「日本版ユース・パーラメント 若者と政党の「政治参加」ガチンコ論争!~公明党編~」でも議論されました。

○日本版ユース・パーラメント~公明党編~の報告
http://youthconference.jp/archives/19/

このなかでは「供託金」についても意見が述べられています。

供託金というのは、選挙に出る際に法務省に預けなければいけないお金です。立候補する選挙によって金額が異なりますが、例えば衆議院小選挙区の場合は300万円、一般の市議会議員選挙だと30万円が必要となっています。

この供託金の是非はこれまで様々議論をされています。

これが必要という根拠は、売名行為や選挙を妨害するために立候補することを防ぐためだとされてきました。

さらに、選挙の立候補者に対しては、ハガキやビラ、ポスターなどの作成費用や新聞に候補者として掲載される費用などが税金から支払われることになりますが、大勢の人が立候補すれば、それだけ税金を使わなければならなくなります。

(選挙によって違いはありますが)有効投票数の10分の1以上の票を得られなかった場合には、この供託金が没収されてしまうことから、本気ではない人が立候補しないようにして、先ほどの売名行為を防いだり、無駄な税金を使わないようにする、というのが現在の供託金制度の目的だということです。

被選挙権年齢を引き下げるのであれば、この供託金制度も見直すべきです。
具体的には、供託金制度は廃止してもいいのではないか、と私は考えます。

供託金は、それが没収されることで被選挙権の乱用を防ぐわけですが、それが目的であれば別な面でその効果を求めることができるのではないでしょうか。

ハガキやポスターなどの費用です。

これが税金から支払われると先ほど言いました。

しかし、全額支払われるには条件があります。供託金と同じく、有効投票数の10分の1以上の票を得られなければ支払われません。つまり自己負担となってしまいます。

この費用が衆議院選挙でおよそ280万円。(立川市議会議員選挙でも約50万円ほど。)

もちろんこれは節約しようと思えばできます。まったく選挙活動をしなければ、この費用はまったくかからずに立候補はできます。

しかし、それでは売名行為で立候補したとしても、知られないわけですからまったく売名になりません。

また、選挙妨害目的であれば警察に対応してもらえばいい。

そして、本気で選挙活動しないで得票できなければ、選挙費用も全額自己負担。税金からの支出はないわけです。

つまりこの公費負担の制度自体が、供託金と同じ効果を持っていると言えます。

若者世代の政治参加を求めるなら、もっと立候補しやすい環境を整備しなければいけないと思います。そのためには、先立つもの(資金)を持っていないと立候補すらできないという現状を改めることを、選挙権年齢の引き下げを機に行うべきではないでしょうか。

立川市の基金運用

本日から来年度(平成28年度)の予算審議である「予算特別委員会」が始まりました。

立川市議会では年4回の定例会で全員が毎回一般質問に立つので、議会ごとに質問づくりに追われるわけですが、そのうちの2回、9月の決算審議と3月の予算審議は、一般質問のうえに決算あるいは予算の審議もあるので、文字通り資料に張りつきっぱなしになってしまいます。大変しんどい季節がやってきましたが頑張りますので、お時間がある方は立川市議会インターネット中継も是非ご覧ください。

<立川市議会 議会中継>
http://smart.discussvision.net/smart/tenant/tachikawa/WebView/

本日の予算特別委員会では、立川市の基金運用について聞きました。
立川市の27年度版「財政データ集」で示された26年度の基金運用。
積立額(特別会計含む)が約191億円に対して運用利子が約900万円で、利回りは実に0.015%。

もちろん基金からの出し入れもあるので、すべてが資金運用されているわけではないのですが、それでも結果として現在の一般的な定期預金の利率0.025%よりも運用益が低いという結果になっています。

市の「資金管理運用方針」のもと、資金管理運用検討委員会というところでこの基金の運用を決めているのですが、この運用方針で元本割れを認めていない為に、運用は債権と定期預金で行われており、これは来年度も変わらないとのこと。

立川市は「不交付団体」ということで、国から地方交付税というものが入ってきません。そのなかで財政規律を維持しようと頑張っていますが、公共施設の老朽化など、将来的な財政見通しは明るくありません。

限られた財源のなかで、どうやって収入を増やすか。
現在の株式や為替の乱高下のもとでは、とてもすぐにとは言えませんが、基金運用のポートフォリオを見直すことも大きな手段になるのではないか。
そういった観点から、運用方法について質問しました。
行政からは、今後利率が良くなっていけば株式なども繰り入れることは考えられるだろう、との答弁がありました。

もちろん大切な市民からの税金をむやみに投資対象と考えるべきではないと思います。
元本割れをしない運用というのも、一つの考え方です。
しかしこうした基金運用を、時期を見てアクティブに行っていくことも重要ではないかと考えます。

不交付団体と実質収支比率

立川市では明日、市長選の投票日を迎えます。

私たち公明党立川市議団としては、現職の清水庄平市長を推薦しており、私も本日、JR立川駅北口で行われた打ち上げ遊説で応援演説をさせていただきました。

その際、私から訴えたことは、立川市の財政。
現在、立川市では清水市長のもと、基金という「貯金」を積み立てております。不交付団体という、国からの交付金が配分されない立川市の立場として、将来的にお金が必要になった場合の文字通りの「貯金」を、決して余裕のない財政のなかでも確実に積み立てているわけです。

対立する共産党の候補はそのような市政運営ではなく、もっと市民のためにお金を使うべきだ、という主張をしています。

今、この立川市で暮らしている市民に対してサービスを増やしていく、もっとお金を使うというのも一つの考えでしょう。しかし、本年をピークとして人口が減っていくという段階に入った立川市にあって、私たちの世代だけが厚い市民サービスを受けて、10年、20年、30年先のことは考えなくていい、なんてことが許されるはずはありません。私はそうした「今だけ良ければいい」という市政ではなく、しっかり次の世代に引き継いでいける立川市をつくるために、これまでの市政運営を継続していくべきである、そのために現職市長を応援していくということを訴えました。

この「立川市はもっと市民のためにお金を使うべきだ」という議論は、実はこれまでも市議会のなかで度々交わされてきました。

その根拠になってきたのが、自治体の財政について判断する基準の一つである「実質収支比率」の数値です。


 

実質収支比率・・・ちょっと難しい言葉ですが、説明します。

一般には次のような式で計算されます。

実質収支比率= (A)実質収支額/(B)標準財政規模 ×100(%)

計算式だけでもう受け付けなくなる方もいるかと思いますが、できるだけ簡単に説明しますので、少し辛抱してください。

 

(A)実質収支額

入ったお金(収入)から出たお金(支出)引いた額を「形式収支」といいます。しかしこれには、お金を払ってしまったけれど実施されるのは来年度になる、というものも含まれています。なので、その分を除いた額(つまり「形式収支」に来年度実施分を足すことになりますね)、これが「実質収支額」になります。収入から今年度に行われた分の支出を引いた額ですね。

(B)標準財政規模

これを算出する計算式もいちおう記します。

標準財政規模=標準税収入額等+普通交付税

「標準税収入額等」はどういう内容かなどと深追いすると泥沼にはまるので、こういう式があるんだ、というくらいの認識で十分だと思います。簡単に言うと「標準財政規模」とは、この地方で、このくらいの広さで、このくらいの人口がいる自治体は、一般的にこのくらいの収入だよね、という額です。

この(A)を(B)で割って100を掛けた数字が、実質収支比率となるわけです。

例えば、T市は今年度1,000円の収入があって、950円使いました。T市くらいの自治体だと、標準的には900円の収入がある計算になっています。・・・とします。これを計算すると、

実質収支額=1,000-950=50円  標準財政規模=900円  ⇒ 50÷900×100(%)=5.5%

ですね。

この場合の「5.5%」が、T市の今年度の実質収支比率ということになります。


 

自治体財政について書かれた多くの本では、この実質収支比率は3~5%が望ましい、と書かれています。しかし、実はこの望ましいとされる数字について、その根拠を探そうとしても、なかなか見つかりません。もしかしたらどこかに示されているのかもしれませんが、私が探す限りではこの根拠は見当たりません。

そこで私が推測する根拠はこうです。

これはその前提として、交付団体、つまり国からの交付金を受けている団体(自治体)に対する「望ましい」比率であろう、と考えます。標準財政規模の計算式にも「普通交付税」が入っていますしね。

交付団体になるのか不交付団体になるのか、というのもある一定の計算式があります。これもここでは詳しくは述べませんが、その計算上、独自の収入だけで足りないとされる自治体に、足りない分を国が支給するのが交付金。そして、その交付金を受けているのが交付団体というわけです。

もともと足りないからこそ支給されるはずの交付金ですから、それが大きく余ってしまうと、その算出根拠が疑われることになる。さりとて、使いすぎで足りなくなってしまうのでは、地方財政を危うくしてしまう。つまるところ、3~5%くらい残しておくようにすることが望ましいのではないか、という「だいたいそんなところ」というような感じでこの基準が示されてきたのではないか、というのが私の推論です。

立川市では近年、この実質収支比率は5~7%くらいで推移しています。一般的な財政の教科書では、この値は3~5%が望ましい、と書いてあることは先程述べました。望ましい比率以上にお金が残っていることは、財政の教科書では、市民サービスに回すべきお金を使っていない、ということになるわけです。つまり、これが今回の市長選で共産党推薦の候補が主張する、もっとお金をつかうべきだ、という主張の根拠になっていると思われます。

立川市が交付団体であるなら、この主張も当然一理あるでしょう。しかし、不交付団体である立川市としては、経済状況の変化で収入が減少したとしても、教育・福祉をしっかり継続していくための蓄え(基金)は、平時からしっかり積み立てていかなくてはならない。市財政も家計も考え方は一緒です。

そうであるとするならば、不交付団体という国からの交付金を頼りにしていない自治体では、この実質収支比率については別の考え方があって然るべきではないか。大きく余らないけれども足りないわけではない、というような基準に縛られてはいけない。将来的にも財政が健全でいられるために、その自治体独自の基準を持つべきではないか、ということを、私は前回6月の定例会のなかで主張しました。

私たち議員にとっても、市長に新たな市民サービスを提案し、それが目に見える形で実現すれば、市民にアピールしやすいわけです。しかし、人口減少・少子高齢化という社会にあって、これからの政治は何をやるか、ということ以上に、何をやらないか、ということを選択していかなくてはなりません。そのなかで、閉塞感に陥ることなく市政運営を行っていくためには、財政についてしっかりとした理念と基準を持って挑んでいかなくてはならないと考えます。

私の「座右の曲」

1年前の本日、立川市議会議員選挙が行われました。初めて立候補させていただいた選挙では1922.177票、14番目で当選させていただきました。応援していただいている皆様に、あらためて御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。初心を忘れず、頑張ってまいります!

座右の曲

さて今日は、政治に関する話題からちょっと離れて、丸1年目の決意とともに私の「座右の曲」を紹介したいと思います。

私が小学6年生のとき、校長先生がお昼の給食時に順番に児童を呼んで、食事を一緒に食べながら懇談をしてくれたことがありました。その時に、一人一人に「好きな言葉は?」と聞かれ、短冊だったかと記憶していますが、校長先生がその言葉を認めて私たちに渡してくれました。

小学校の思い出の一つとして今でも記憶に残っていますが、その時に私が言った言葉は「希望」。当時はそんなに深く考えていなかったかもしれません。でも、時が経つにつれてその言葉が私にとってどんどん大きくなっていきました。今でも好きな言葉と聞かれたら「希望」と答えますし、「状況は絶対に変わる!」ということは、常に自分に言い聞かせています。

そんな希望――「未来に対して絶対にあきらめないこと」を自らに誓う曲がこれです。

 What A Wonderful World

言わずと知れた、ルイ・アームストロングの名曲です。
この曲をルイ・アームストロングが歌った頃、アメリカはベトナム戦争の真っ只中でした。そんな最悪の時代に「何て素晴らしい世界だ」と歌う。これはけっして皮肉などではなく、現状を絶対に変えてみせるという決意でした。

70才の誕生パーティーで、彼は語ります。
「世界が悪いのではなくて、私たちが世界にしていることが悪いんだ。
つまり、諦めないで皆が努力さえすれば、世界はもっともっとワンダフル・ワールドになるっていうことさ」

これまで多くのアーティストが歌い、演奏しているこの曲。ジャズのテナーサックス奏者であるジョージ・アダムスも、彼のアルバム「ナイチンゲール」に収録しています。じつは彼がこの曲をMt.Fuji Jazz Festivalで演奏した映像がYouTubeにアップされているのですが、これが特に素晴らしい。CDとして発売されないのが本当に惜しい、名演です。

―Don Pullen George Adams What a Wonderful World―
https://www.youtube.com/watch?v=MaAHWhdGyYA

若者の自立支援へ住宅セーフティネット法改正を

「住生活基本法」という法律があります。

基本法とは、関連する法律のおおもととなる法律です。この基本法に書かれている理念や方針のもとに、関連する法律がつくられていきます。

平成18年に公布・施行された「住生活基本法」は、住宅を建てることに主眼が置かれたそれまでの「住宅建設計画法」に換わって、①良い住宅をつくって、次の世代に残しましょう。②住まいの環境を良くしましょう。③家の売買や賃貸を円滑にできるようにしましょう。④福祉として住宅を確保・整備しましょう。という方針を打ち出しました。なかでも、住宅政策に福祉の視点を入れたことが大きな特徴の一つです。

そしてこの福祉という基本理念から、「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律(住宅セーフティネット法)」ができました。これはその法律の名称どおり、住宅を確保することに配慮しなければならない者、つまり自分の力では家をみつけることが困難な人には、行政が公的住宅あるいは民間住宅に入れるようにして、国民の生活を安定させなさい、というものです。

では、この住宅確保要配慮者とはどういう人たちを指すのか。住宅セーフティネット法では、第一条に「低額所得者、被災者、高齢者、障害者、子どもを育成する家庭その他住宅の確保に特に配慮を要する者」と定義しています。これだけを見ると「確かにそのような方には配慮が必要だな」と思うかもしれませんが、これには次のような指摘があります。

この法律では、その対象者として、世帯の稼働能力がその属性ゆえに低いと見なされる「高齢」「障害」「母子」などのカテゴリー、住宅確保の必要の緊急性を根拠とする「被災者」、人口の少子化に対処するために住宅確保の優先性が与えられた「子育て世帯」など、具体的な類型が示されている。低所得者も住宅確保要配慮者に含まれるが、低所得である以外に特徴のない人々が、それ以外の特徴的な類型のカテゴリーの人々に優先して、数的に限度のある公営住宅等に入居できる可能性は高くない。

(「住宅のセーフティネットは機能しているか―住宅弱者に対する政策と課題―」萩原愛一 国会図書館刊行「レファレンス」No.710(2010年3月)より)

つまり、低所得に加えて、高齢であったり、障がいを持っていたり、母子家庭だったり、被災してしまった、という人の方が優先されるから、ただ低所得であるというだけでは少ない公営住宅に入れる可能性は、現実的にはほとんどありませんよ、ということ。その、ただ低所得であるという人、ここで指摘されている「低所得である以外に特徴のない」層とは、単身の若者世代です。

立川市の市営、東京都では都営という公営住宅。この公営住宅は、住宅セーフティネット法のなかに位置づけられています。その第5条2項には「公的賃貸住宅の管理者は、公的賃貸住宅の入居者の選考に当たり、住宅確保要配慮者の居住の安定に配慮するよう努めなければならない。」と定められていて、公営住宅の入居資格を定める各地の条例は、住宅セーフティネット法のこの条文との整合性がつくものとなっています。立川市では「立川市営住宅条例施行規則」のなかで同様に定められていて、単身の若者が入れるのは生活保護を受けている場合に限られます。

しかし、公営住宅は本来、生活力をつける間の一時的な住まいという位置づけです。現在は高齢者住宅という側面が強くなっていて、それはそれで高齢化社会のなかでは必要ですが、その割合が高くなりすぎることは本体の役割を失うことになりかねない。

なぜ若者世代が公営住宅に入れないことについて言及するかといえば、若者が経済的、精神的に自立していく過程において、住宅の支援は有効であると考えるからです。現在は、雇用情勢がまだまだ厳しいことから、親との同居を余儀なくされている若者も多い。その状況が長期化することが若者に結婚をあきらめさせ、少子化に至る大きな要因であると思います。

若者の自立支援という側面を、住宅政策のなかで位置づけていく必要がある。そのためには、現行の住宅セーフティネット法を改正する必要があると考えます。

18才選挙権と一票の格差是正

昨日、改正公職選挙法が参院で可決・成立しました。これで来年夏の参議院選挙から、18才以上の国民が投票権を持つわけです。つまり現在の高校2年生が、来年から投票できることになります。

そんな中、参議院の「一票の格差」是正に向けた議論が進みません。今日には自民党が今国会での選挙制度改革を断念した、というニュースまで入ってきました。

<公選法改正、今国会見送りへ 参院自民幹部、抜本改革は「秋の陣」で(産経ニュース)>
http://www.sankei.com/politics/news/150617/plt1506170030-n1.html

参議院の一票の格差をめぐる裁判では、昨年11月に最高裁で「違憲状態」とされました。次回の参院選をこのままの状態で行えば、今度は「違憲」とされ、選挙無効もあり得ると言われています。一方、選挙区割が変更されれば、それを住民に周知するのに1年は必要だとも言われ、逆算すると8月や9月まで延長するともされている今国会がタイムリミットです。それを9月あるいは10月であろう臨時国会で議論して、果たして間に合うのか疑問ですが、まさか間に合わずに、現状のままで選挙に突入してしまうなどということはないでしょう。

しかし万が一、参院選で一票の格差が是正できず、行われた選挙が無効になったとします。このことによって、600億円とも800億円とも言われる国政選挙のための費用、つまり税金が無駄になることを民主主義のコストだと諦めたしても、問題は初めての選挙に行った18才、19才の新有権者です。この若者たちに、政治家はどう言い訳をするのか。様々な情報を集めて自分の考えで行使するであろう若者の一票。その投票が無効になることがあれば、大きな政治不信に繋がります。選挙権年齢を下げたのは、早々に政治不信にさせたいからではないはずです。

現在、一票の格差は5倍近い。小手先の改正は参議院の「良識の府」としての存在意義が問われます。なぜなら、参議院はその意義において、本来、党派政治とは一線を画す、政治家個々の見識が問われるものであるからです。そうであるならば、完全な格差是正は無理であるとしても、少なくとも格差を2倍以内にするべきではないでしょうか。

公明党は格差が最大1.953倍という改革案を示しています。

<参院選挙制度で公明が改革案>
https://www.komei.or.jp/news/detail/20150616_17256