今月(6月)5日に井手英策先生の新著『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)が発刊されました。
その帯にある「新自由主義徹底検証!」。
今、「新自由主義」は日本のみならず世界中で政治あるいは時代の槍玉に挙げられており、じつにタイムリーな内容となっています。ところが新自由主義と言われても、なんだか漠然としているのも事実。新自由主義とはなんでしょうか。なぜ批判を浴びているのでしょうか。
私たちが経済の仕組みとしている「資本主義」は、経済的自由が原則となっています。しかし独占などの不公平の是正や、経済不況や恐慌における社会の回復のために、その経済活動においては国家の介入も必要とされてきました。
この介入の度合いが極限まで達すると社会主義となるわけですが、それはさておき、資本主義のなかで国家がどの程度経済活動に介入すべきかというのが、これまでの人類の歴史における最大の課題であったといっても過言ではないでしょう。
この国家の介入というのは、2つのかたちで行われます。一つは「規制」、もう一つが「再分配」です。このとき介入の度合いが高いのを「大きな政府」、低いのを「小さな政府」と言います。
長く日本では、公的なものとして規制されてきたものを「民営化」し、国の再分配機能である財政支出を「削減」して「小さな政府」を指向してきました。
公的な介入や支えでなく、国民個々人の力量で社会生活を作り上げていくべきだ、としてきたわけです。これを「新自由主義」と称します。
小さな政府を望んだ理由は、それこそが経済成長に繋がると考えたからです。しかし経済が思うように成長しないなかで、この新自由主義に疑問が呈されてきました。「個々人の力量」は「自己責任」とされ、経済格差が生きる格差となっていきました。
そこにこの新型コロナウイルスのパンデミックが追い打ちをかけました。想像もしなかった経済急変により自己責任社会の限界がはっきりしたということで、新自由主義社会が今、大きく批判されているわけです。
しかし井手英策先生が今回の著作で一番明らかにしたかったのは、新自由主義の欠陥ではありません。
この新自由主義を推し進めたのが小泉純一郎であり、竹中平蔵であり、自民党政権などということも、世間ではまことしやかに言われています。それは本当なのか。もしそうであるなら、なぜその政治体制が(選挙という形を通して)これまで支持されてきたのか。
そういった分析なくしては、次に違う政治・経済思想が出てきても、結局私たちはいつか来た道を辿ることになってしまう。そうであるなら今、新自由主義の土壌をつくった日本の歩みを徹底検証しなくてはならない、ということです。
そしてその反省をもって、次の社会のあり方を語るのが本書です。
現在行われている都知事選でも「反・新自由主義」を主張する声が聞かれるように、ポスト・コロナの社会は新自由主義からの転換が中心的な議論になるはずです。
その前提の知識として、『欲望の経済を終わらせる』は是非読むべき一書だと思います。