横浜市は教育長を即刻更迭すべき

福島県から横浜市へ自主避難した中学1年生の男子がいじめを受けていた問題で、同級生に150万円を払わされていたことがいじめにあたるかということについて、20日、横浜市教育長がいじめという認定は難しいという見解をあらためて示したことが報道された。

“150万円の支払い” いじめ認定は困難 横浜市教委(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170120/k10010847081000.html

金銭要求「いじめ認定困難」=教育長が見解、原発避難-横浜(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012000839&g=soc

私は、横浜市の教育長、さらに第三者委員会とされる横浜市いじめ問題専門委員会の委員は、即刻辞任すべきだと言いたい。

なぜならこれは、いじめという認定が難しいのではなく、関係者がいじめを認定する能力がない、ということに他ならないからだ。

ここで教育長が述べている「いじめと認定できない」理由は、この150万円のやり取りについて、いじめた側といじめられた側双方にいじめという”共通”認識がない、ということ。これを根拠に「いじめと認定するのは困難」という見解を示しているようだが、これは教育委員会と第三者委員会に判断基準がないと言っているに等しい。

もし横浜市のいじめの「基準」が「被害者と加害者双方がいじめただという認識を有していること」などということであれば、そこは判断など必要なく誰でも裁定できる。多くの場合判断が必要になってくるのは、双方の言い分が食い違うからこそだ。言い分が違うから判断ができないのであれば、繰り返すが、教育長らに判断する能力はない。

さらに今回の件について、横浜市のいじめ問題専門委員会は11月、「おごりおごられる関係で、いじめとは認定できない」と判断したとの報告があったということだが、ここもまさに関係者の判断基準が大きく誤っている。

「おごりおごられる関係」は、中学生がどこまで他人におごる能力を有するのかということが大前提となる。年齢的に自分で稼ぐことができない以上、持つことのできるお金は親からの小遣いということになるが、150万円が小遣いの範囲でないことは誰でも分かる。また、「金銭授受はいじめから逃れるためだった」と認識しているのにもかかわらず、150万円をおごったものとすることの整合性もない。いじめから逃れるための手段であれば、そこに起因する金銭のやり取りがいじめから切り離されることは理解できない。

さらに言えば、被害者がおごったのではないと言っている以上、「おごりおごられる関係」は成立しないということも申し上げたい。

個人的なことであるが、私も小学6年生のときに恐喝にあった。市内のゲームセンターに立ち寄ったときに、違う学校の児童3人が私に「金をよこせ」と言ってきたのである。要求された額は「50円」。なんだ50円かと笑うかもしれないが、私にとってはとても悔しくつらい経験だった。それは、親がどういう気持で子どもに小遣いをあげているのかを感じていたからだ。小遣いの使い方を親から制限されたことはなかったが、喜んで欲しいという気持ちで小遣いを渡していたことは、子どもながらに感じていた。だからそのお金を取られたということが、親に申し訳なかった。心配も掛けたくなかったから、恐喝されたことを親に言うことはできなかった。

そのとき、もし誰かが事情を私とその3人に聞いたとして、その3人は「おごってもらった」と言ったかもしれない。けれど、当時の私にその認識はないし、現にその時のショックは小さくなかった。たかだか50円かもしれないが、それは私にとっていじめに違いなかった。

今回の教育長と第三者委員会の判断は、良く言えば公平さを重視しているのかもしれない。あくまでも客観的な判断ということを第一にしているのかもしれないが、いじめについて、それは大きな間違いだと強調したい。いじめられた側に寄り添いたいというようなことを横浜市長は以前の会見で述べているが、それはいじめられた側からの景色を見るという姿勢であるということを、どうか分かって欲しい。

「いじめはいじめた側が100%悪い」。その認識に立たない限りいじめはなくならない。私が横浜市長の立場なら、能力の問題として教育長をすぐに更迭するし、第三者委員会のメンバーも再検討する。また、もしこの横浜と同じような判断が立川市で行われたら、私は断固抗議する。

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