「ベーシック・サービス」で連帯の社会を

「ベーシック・サービス」

今日の公明新聞一面に掲載された井手英策先生のこの理論は今後、公明党の政策の「核」となっていくでしょう。

今回のコロナ禍で一律10万円の特別定額給付金が決定した際、公明党・山口代表がこれを政治からの「連帯のメッセージ」と発言しました。今日の井手先生のインタビュー記事にも「連帯」という言葉が大きく文字にされていますが、公明党がベーシック・サービスを政策の柱として掲げるべき理由がこの「連帯」にあります。

今年(令和2年)1月に行われた内閣府の「社会意識に関する世論調査」が公表されています。それによると、「社会の現状に対する認識」として「連帯感がある」としている割合は6.4%に留まっている一方で、「現在の世相」(マイナスイメージ)について「連帯感に乏しい」としているのは26.9%と、4人に1人の割合にあるという現状です。まさに今、多くの国民が「連帯」を求めています。

この連帯感がないことが租税意識の低さ、つまり税への拒否感に繋がっていると分析しているのが、東京大学名誉教授で経済学者の神野直彦先生です。(神野直彦先生は井手英策先生の師でもあります。)

神野直彦先生は先進各国の租税負担と経済的パフォーマンスを調査したうえで、『租税負担率が高いと格差や貧困を抑えることができ、経済成長すら可能になると表現してもいいすぎではな』く、『経済的要因だけでなく、社会的要因も考慮した幸福度という観点からみても、租税負担率が高いほうが幸福度が高い傾向があるとすら指摘できる』としています。

翻って日本の租税負担率はOECD加盟32カ国の中でも著しく低いのが現状です。それに対して『日本で租税負担が低い理由については、国民が政府を信用していない点が必ずあげられます。しかし、租税負担が高い国であるスウェーデンの世論調査をみても、国民は政府を信用しているわけではありません。重要な点は、国民同士がお互いに信じ合っているかどうかです。つまり、「私達」という仲間意識が存在して、「公」の意識が形成されているか否かが、決定的に重要なのだと思います』と論じています。

さらに『租税負担の高い国は、他の人々を信頼する国だということも読み取れ』るとの分析をする一方、日本社会では人を信用するよりも先に『子供の頃から競争原理を教え込まれ』てきたことで、『他の人びとへの不信感は形成されて』きたと指摘します。その結果『「私達」という仲間意識』が生まれず『「公」という認識』が形成されてこなかったことから、日本社会では『お互いに負担し合う租税意識が形成されず、租税負担は高まらない』と結論づけています。

(『』は「税金 常識のウソ」(神野直彦著・文春新書)より引用)

これは裏を返せば、税を通じて仲間や公の意識も形成できるということでもあります。

ベーシック・サービスは公明新聞の記事の中で述べられているように、「税」を財源とします。国民が税金を出し合うことによって支え合う社会をつくる、というのがベーシック・サービスの根底の考え方です。

今日の記事の最後に、井手先生は『これまでは、経済を成長させ、自分の力で稼ぎ、自己責任で生きていけたが、危機の時代は無理だ。社会全体が連帯する新たな仕組みが求められている』と述べています。

まさに「社会全体が連帯する新たな仕組み」をつくることこそが、今の政治に最も求められていると確信しています。その仕組みこそが「ベーシック・サービス」です。

【読書録】「欲望の経済を終わらせる」井手英策(2020/06/05)


今月(6月)5日に井手英策先生の新著『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)が発刊されました。

その帯にある「新自由主義徹底検証!」。

今、「新自由主義」は日本のみならず世界中で政治あるいは時代の槍玉に挙げられており、じつにタイムリーな内容となっています。ところが新自由主義と言われても、なんだか漠然としているのも事実。新自由主義とはなんでしょうか。なぜ批判を浴びているのでしょうか。

私たちが経済の仕組みとしている「資本主義」は、経済的自由が原則となっています。しかし独占などの不公平の是正や、経済不況や恐慌における社会の回復のために、その経済活動においては国家の介入も必要とされてきました。

この介入の度合いが極限まで達すると社会主義となるわけですが、それはさておき、資本主義のなかで国家がどの程度経済活動に介入すべきかというのが、これまでの人類の歴史における最大の課題であったといっても過言ではないでしょう。

この国家の介入というのは、2つのかたちで行われます。一つは「規制」、もう一つが「再分配」です。このとき介入の度合いが高いのを「大きな政府」、低いのを「小さな政府」と言います。

長く日本では、公的なものとして規制されてきたものを「民営化」し、国の再分配機能である財政支出を「削減」して「小さな政府」を指向してきました。

公的な介入や支えでなく、国民個々人の力量で社会生活を作り上げていくべきだ、としてきたわけです。これを「新自由主義」と称します。

小さな政府を望んだ理由は、それこそが経済成長に繋がると考えたからです。しかし経済が思うように成長しないなかで、この新自由主義に疑問が呈されてきました。「個々人の力量」は「自己責任」とされ、経済格差が生きる格差となっていきました。

そこにこの新型コロナウイルスのパンデミックが追い打ちをかけました。想像もしなかった経済急変により自己責任社会の限界がはっきりしたということで、新自由主義社会が今、大きく批判されているわけです。

しかし井手英策先生が今回の著作で一番明らかにしたかったのは、新自由主義の欠陥ではありません。

この新自由主義を推し進めたのが小泉純一郎であり、竹中平蔵であり、自民党政権などということも、世間ではまことしやかに言われています。それは本当なのか。もしそうであるなら、なぜその政治体制が(選挙という形を通して)これまで支持されてきたのか。

そういった分析なくしては、次に違う政治・経済思想が出てきても、結局私たちはいつか来た道を辿ることになってしまう。そうであるなら今、新自由主義の土壌をつくった日本の歩みを徹底検証しなくてはならない、ということです。

そしてその反省をもって、次の社会のあり方を語るのが本書です。

現在行われている都知事選でも「反・新自由主義」を主張する声が聞かれるように、ポスト・コロナの社会は新自由主義からの転換が中心的な議論になるはずです。

その前提の知識として、『欲望の経済を終わらせる』は是非読むべき一書だと思います。

月刊公明7月号『税を財源に実現する「頼り合える社会」』 井手英策・慶應義塾大学教授

井手英策先生の寄稿が月刊「公明」7 月号に掲載されました。同誌への掲載は 2013 年 11 月号以来じつに 7年ぶりです。

井手先生のこれまでの寄稿(今年 の月刊誌「潮」3 月号と2/29 付公明新聞「土曜特集」)は、自身の理論や質問に対する見解を述べるということが中心でした。今回の寄稿が特徴的なのは「公明党のビジョンを進化させるための鍵」として提言していることです。

特定の誰かではなく、すべての人たちを受益者にすることこそが、公明党の求める「全民衆の最大幸福」「個人の幸福と社会の繁栄の一致」を実現することになるのではないか。

そう井手先生は指摘し、そして党に対して問いかけます。『公明党が重視してきた「弱者の救済」を「万人の保障」に変えられるか』。

「万人の保障」の大きな鍵の一つが、支援に所得制限を設けないことです。

たとえば公明党が今回強く主張した「一律 10 万円給付」。所得制限なしで行ったこの事業は、僕は大きな社会体験だったと思っています。国民全員が 10 万円を受け取れたことで、高所得者層が受け取ることの批判もほとんどなく、これまでの支援で必ず出てきた「私だって苦しいのに」という声も叫ばれることはありませんでした。つまりサービスによる分断が生まれなかったということです。

裏を返せば、これまでの支援の仕方である「弱者」という線引きをした救済では、サービスを受けられた人と受けられない人の間での分断が避けられないということでもあります。

そうであるからこそ、井手先生は誰もが生きていくために必要とする支援に所得制限を設けないことを主張し、すべての人を保障する「ベーシック・サービス」論を展開しています。

ベーシック・サービスとは所得に関係なく受けられるものです。井手先生が昨年上梓された著書「いまこそ税と社会保障の話をしよう」の中にそれを表した一言があります。

『僕たちは所得ごときで人間の扱いを変えません』

#国民投票法改正案に抗議します について

「検察庁法改正案」については、公明党としても定年延長の基準などが明確に示せていない状況では、国民の理解が得られないということで、今国会での採決を見送ることになりました。

検察庁法改正案 採決見送り(2020/5/19 公明新聞)
https://www.komei.or.jp/komeinews/p98295/

ツイッターで#(ハッシュタグ)をつけて広がった検察庁法改正案についての世論ですが、ここで新たに「#国民投票法改正案に抗議します」という意見が広がっているようです。

「安倍政権はコロナを利用して憲法改正を企んでいる!」ということで広がりつつあるようですが、「それはまったくの間違いです!」ということをお伝えしたいと思います。

まず、国民投票法改正案(正式には「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案」)が今国会に提出された経緯です。

この改正案は、2018年6月27日に自民、公明、日本維新の会、希望の党の4党で提出しました。

国民投票法改正案を提出(2018/6/28 公明新聞)
https://www.komei.or.jp/komeinews/p5123/

ところがその後、野党の審議拒否で法案審議が一度も行われないまま継続審議となっていて、今国会に再提出されたものです。

つまり、国民の関心がコロナに向いているからその隙に法案を提出して通してしまおう、というのではなく、2年前から審議が続いているわけです。

ではその改正案の内容は、具体的にどういうものでしょうか。

通常の選挙をどのように行うかは「公職選挙法」で決められています。しかし、憲法改正を行う場合の国民投票は、この公職選挙法ではなく「国民投票法」にのっとって行われることになります。

国民投票法改正案が提出されたのは2018年と言いましたが、その2年前の2016年に公職選挙法が改正されました。

このときの公職選挙法改正で、駅やショッピングセンターに共通投票所を設けられるようになり、また期日前投票所の投票時間も地域の実情に応じて繰り上げや繰り下げができるようになりました。また、投票所に投票人(親)と入ることができる子どもの範囲(年齢)が拡大されたのもこの法改正によるものです。

このときの公職選挙法改正による投票環境の整備を、国民投票法でも行うのが今回の改正案ということです。

憲法改正の是非を国民に問う際には、その投票を国民投票法にのっとって行うことになります。では、国民投票法が改正されれば、憲法も改正になるのでしょうか。

国民投票法の改正内容を知っていただければお分かりのように、憲法改正とはまったく別の話しです。

そもそも国民投票の際に国民が投票しやすい環境を整えるのが、今回の法律改正の目的です。つまり、憲法改正反対の人たちにとっても意思が示しやすくなるわけです。

今回の 「#国民投票法改正案に抗議します」。

この法律案の内容についての反対意見であれば、当然聞くべきです。しかし、多くは誤解であると思います。さらに申し上げれば、「日本が悪い方向に行ってはいけない」という純粋な思いを、与党のイメージダウンを狙っている人たちに利用されてしまうことを危惧します。

尚、この国民投票法改正案については、衆議院のホームページに「法律案要綱」が掲載されています。

日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案要綱
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/youkou/g19605042.htm

比較的分かりやすく書かれてはいますが、それでもなかなか読むのは気が引けると思います。

これについて、自由民主党の山本拓衆議院議員(公明党でなくてすみません)のホームページで詳しく解説されています。

国民投票法改正案(自民党衆議院議員山本拓)
http://yamamototaku.jp/article/kokumin_touhyou/

さらに詳しく知りたい方は、ぜひ参考にしてください。

そういうとこやぞ!共産党

「そういうとこやぞ!」という、キム兄みたいな話しなんですが…

僕が個人的におつき合いしている共産党の議員の人たちは、人あたりも良いし、真面目です。ですから、共産党だから何でもダメ!なんて思っていません。良いところはちゃんと認めようと常日頃から心がけています。

ところがマス(集団)になると、どうしてこうなってしまうのか…

現在、立川市内で共産党のチラシが配布されているようです。

それ自体は政治活動なので何か言うものではありませんが、その内容が「公明党ができないことを共産党がやった」というものなので、ここは明確にしておかなくてはなりません。

そのチラシの内容についてもう少し詳しく申し上げると、立川市の今年度の国民健康保険料が値下げ(昨年度からの据え置き)になったのですが、それが共産党の成果というわけです。
果たして、事実はどうでしょうか。

最新の「広報たちかわ」(5月10日号)に「立川の国保」(同)が折り込まれています。その1面左下の「保険料等の引き下げ」にこんなふうに書いてあります。

『新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う市内の景気経済や市民生活等への影響に鑑み、保険料率と負荷限度額を改正前の平成31年度水準へ引き下げました。』

普通に読めば「ふーん、まぁ良かったな」というくらいの内容かもしれませんが、これを行政が行えるようにしたのは、私たち公明党です。いえいえ、単なる自画自賛でも拡大解釈でもありません。ちょっと長くなりますが、経緯を説明させてください。

令和2年度の国民健康保険料は、これまで市長の諮問で設置されている「立川市国民健康保険運営協議会」で長く審議を続けてきたものです。

立川市国民健康保険運営協議会は、被保険者つまり国民健康保険に加入している市民の代表と、他の健康保険の運営に携わっている方、さらに医療従事者の代表に、市議会からも3名の議員が入って15名の委員で構成されています。今回は市議会から自由民主党、共産党、そして公明党の3名が委員となりました。公明党の委員は僕です。

健康保険というのは、保険に加入している人たちでお互いにお金を出し合って、病気や怪我のときに支え合う「互助」が中心です。

ご承知の通り、高齢化社会になって医療費は年々増加しています。医療費が増加していけば、出し合うお金も増やさなくてはなりません。

そこで立川市の国民健康保険料について、運営協議会で今後の値上げの是非を長く審議してきました。

その議論で、共産党はもとより国民健康保険料の値上げは反対なので、それを一貫して主張されていました。ただ、それ以外の14名の委員は、国民健康保険の財政を考えたときには値上げはやむを得ない、という意見で、今後4年間で段階的に保険料を値上げする方向性で話は進みました。

その中で、僕は公明党の議員として「もしも」の事態に備えることを主張しました。

その内容は、値上げはやむを得ないが、どんな事態になっても保険料が上がっていくのは市民生活に影響が大きい。リーマン・ショック級の経済的な急変があった場合には、値上げを立ち止まるという制度設計をするべきだ、というものです。

<議事録(共にK委員が僕です)>
◯平成30年度第5回立川市国民健康保険運営協議会議事録
(平成30年12月26日(水))
https://www.city.tachikawa.lg.jp/hokennenkin/kurashi/kurashikaigi/kokuhoune/h30/documents/201805_gijiroku.pdf
◯平成31年度第4回立川市国民健康保険運営協議会議事録
(令和元年12月26日(木))
https://www.city.tachikawa.lg.jp/hokennenkin/kurashi/kurashikaigi/kokuhoune/h31/documents/201904_gijiroku.pdf

その主張が最終的に市長への答申に盛り込まれました。

◯立川市国民健康保険の保険料について(答申)
(令和2年1月16日(木))
https://www.city.tachikawa.lg.jp/hokennenkin/kurashi/kurashikaigi/kokuhoune/h31/documents/h31_05_toushin.pdf

もとよりこの審議を行っているときに、現在の新型コロナウイルスの感染拡大と経済への影響を予想できたわけではありません。しかし「いざ」というときの規定を盛り込んだことで、行政にそれを根拠(それが先の広報誌に記載された『市内の景気経済や市民生活等への影響に鑑み』という一文です)として現実の事態の対応をさせることができたわけです。

行政を動かすというのは、そういうことです。

残念ながらその審議の過程で、共産党の議員からは「値上げ反対」以外の意見は聞くことができませんでした。確かに共産党は議会で「値上げをやめるべき」とも発言されました。値上げ中止の修正案も出されました。

しかし、主張するだけでは物事は動きません。実際に皆さんも、会社など組織のなかで、言うだけで主張が通るなどと思っていないと思います。物事を動かすために、様々な努力をしているはずです。ところが政治になると、言えばやったことになる、というようなことが本当に多い。そういうところが政治不信、ひいては政治が馬鹿にされる原因に繋がっていると思います。

冒頭にも申し上げたように、共産党の議員の方たちも個人としては良い人です。でも全体になると、どうしても事実を曲げてしまう癖がある。
僕たちが共産党をどうしても受け入れられないのは「そういうとこやぞ!」

住まいは社会保障の基盤(公明新聞2020年3月23日付)

全世代型社会保障について公明党が現在「住まい」を社会保障の柱と位置付けて検討を進めている、という記事が23日付公明新聞に掲載されました。

「『衣食足りて礼節を知る』というが、その前に屋根が必要だ」。福祉の出発点としての住まいの課題を、僕も初当選以来、市議会の場でずっと主張してきました。

最終提言の取りまとめに大いに期待しています。

「誰も置き去りにしない社会保障」井手英策・慶應義塾大学教授(公明新聞2020年2月29日付土曜特集)

今日の公明新聞4面「土曜特集」に、慶應義塾大学経済学部・井手英策教授のインタビュー記事が掲載されました。SDGsの基本理念『誰も置き去りにしない』を強く進める公明党として、社会保険政策をどう再構築していくのかを考える記事となっています。

…おっと、ここまでで「ちょっと難しいかな」なんて読み飛ばそう、と思ったあなた!そんなこと言わずに、このインタビューに目を通してみてください。

今、このSDGsで『誰も置き去りにしない』と掲げているのは、そう、裏を返せば置き去りにされている人たちがいるから。その呪縛が「自己責任」です。

もちろん、自分のことに責任を持つという姿勢は間違っていない。

しかし!

今の日常で「自己責任」という言葉が使われるとき、それが”他者の不幸”に向けられていることが少なくないのではないでしょうか。

事故、病気、失業・・・いつ自分の身に起こるか分からないことであるはずなのに「自己責任」のもと、自助努力を強いられているのが現実。その社会を「税」という処方箋で変えていこうというのが、「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会保障という井手先生の理論です。

品位ある「生命の保障」――まさにその社会を実現するのが公明党の使命だと思っています。

もう一度言います…是非ご一読を!

 

公明党が目指す「新たな社会保障」

先日15日・16日の両日に渡り、公明新聞で「2040年問題 新たな社会保障への一考察」という論考が掲載されました。

 

およそ20年後の「2040年」とはどんな時代でしょうか。

 

中央大学の宮本太郎教授は、「日本がこれまで対処を怠ってきた二つの不均衡が極限に達する年である」と指摘しています。

https://www.jcer.or.jp/blog/miyamototaro20181017.html

 

こうした危機感のもと、『低経済成長の超高齢社会」を前提にしたうえで、誰も取りこぼさないための福祉政策のあり方を考えたのが今回の提言です。

 

「大衆福祉」こそ、1964年11月17日に結党し今年で55周年を迎えた公明党の原点です。

 

今回発表された考察では、公明党が目指すのは「最大多数の最大幸福」ではなく「全民衆の最大幸福」であり、『「個人の幸福」と「社会の繁栄」の一致を志向』し、『各人が思い描く幸福を最大限に追求できる社会こそ、公明党がめざす大衆福祉社会』であると述べ、そのために我が国に立ちはだかる「二つの大きな“山”」をどう乗り越えるかを模索しています。

 

これから日本社会が迎える二つの大きな山とはなにか。1つ目は、団塊の世代が75歳以上(後期高齢者)になる2025年。2つ目が、高齢者人口がピークとなる2040年です。

 

私もいわゆる団塊ジュニアと言われる世代で、2040年には69歳になります。この団塊ジュニア世代という現在の日本で一番人口の多い層が、この頃に70歳前後となり、老後の「支えられる側」になっているわけです。

 

そうした現実を踏まえたとき、考察では我が国の『従来の「支える側」と「支えられる側」という二分法を前提とした社会保障制度の限界』にきていると指摘。そのために、超高齢社会を見据えた社会保障改革を行っていく必要性を論じています。

 

小論ではそのための視点として

①真に支援が必要な「弱者」の把握

②「分断・格差」「孤立・孤独」の防止

③「個人」に軸足を置いた制度設計

の3つを反映させた政策が必要だとしています。

 

今回の論考で、私が注目するのは『「個人」に軸足を置いた制度設計』について、『社会保障を世帯単位から個人単位にしなければならない」としている点です。「弱者の明確化」を考え合わせたとき、これは必然的に税制の世帯単位から個人単位への転換も示すことになります。

 

さらに「適切な再分配こそ成長を促すカギだ」と論をすすめ、そのために「40年の日本社会を念頭に置いた分配重視の税体系の構築」の必要性を主張していることは重要な点です。

 

そのような税のあり方、そして「分断をつくらないため」の社会保障のあり方を考察した最後に、慶應義塾大学の井手英策教授の論に言及しています

 

ここでは井手教授の考えについて、こう述べています。

 

(井手英策教授の)『提言の根底には、救うべき弱者を特定した社会保障だと、他の層との”分断線”が引かれ、社会的な亀裂を生じさせるという問題意識がある。分断をつくらないために、全員に等しくサービスを提供するという発想で、本稿で触れた「弱者の明確化」とは方向性が異なるが、重要な選択肢として検討に値しよう。』

 

今回の考察は『公明党が取り組むべき課題について言及』するというもので、今後の政策を考えていくにあたっての叩き台という位置づけになるものだと思います。

 

そこにこれまでの主張と「方向性が異なる」としながらも、井手教授の提言を「重要な選択肢」として示したことは、公明党として「税と社会保障」を考える上での大きな転換点だと考えています。

「分断」をとめるための選挙制度改革を

私の座右の銘は「結合は善」。
いつもは表に出していないが、これには対称となる続きがある。
それは「分断は悪」という言葉だ。

我が国で「格差」についての新聞記事が増えだしたのは平成17(2005)年頃からとされる(参考)。
それが後に社会の「分断」へと繋がっていったのが平成という時代の日本の姿だろう。

今月、新たな元号「令和」を迎えた。
新しい時代として、政治は何をやらなければならないか。
それはまさに「分断」をとめることだ。

 

これまでの「平成」における、政治の一番大きな変化は小選挙区制の導入であろう。
平成6(1994)年の公職選挙法改正によって衆議院議員総選挙での小選挙区比例代表並立制が導入され、平成8(1996)年の総選挙で初めて実施された。

私は平成の時代に拡大してしまった分断の、大きな原因の一つはこの小選挙区制度にあったと考えている。

多くの人が指摘していることではあるが、小選挙区制度によって決定される各党の議席数は、実際の投票率とは大きくかけ離れるということが起こる。そのために政権交代が起きやすいことで、与野党で切磋琢磨し、緊張感をもつことで政治家と政策が磨かれ向上していくことを期待されたのが小選挙区制度であった。しかし現実にはそうならないばかりか、現実には民意を反映できない制度となってしまっている。

小選挙区の票数では比べるのが難しいので、分かりやすく比例代表の投票率で見てみるが、たとえば前回平成29(2017)年の衆議院議員総選挙での比例代表の投票率で議席数を配分すると次のような結果となる。(カッコは小選挙区を含んだ実際の獲得議席)

自由民主党 155(284)+129
立憲民主党 92(55)-37
希望の党 81(50)-31
公明党 58(29)-29
日本共産党 37(12)-25
社会民主党 8(2)-6
日本のこころ 1(0)-1
その他 5(22)+17

自由民主党の比例票獲得率は33.3%だが、全獲得議席は61.1%となった。また、野党第一党となった立憲民主党も、比例票獲得率は19.9%だが、実際の獲得議席率は11.8%と半減する結果だ。(ちなみに比例票獲得率の結果だけで示せば、与党である自由民主党と公明党が獲得した比例票は、全体の45.8%となり過半数ではないことも分かる。)比例票のみを民意を仮定した場合には、実際の議席割合と大きく離れてことが分かる。

慶應義塾大学法学部の小林良彰教授によれば、有権者が今の政治にどの程度満足しているかの調査では、『「かなり満足している」者は1%しかおらず、「やや満足している」の11%を足しても12%に過ぎない。一方、「かなり不満である」者が28%おり、「やや不満である」の26%を足すと54%と半数以上が政治に不満を抱いていることが分かる』との結果を示しているという。そして『その背景には、有権者の民意が正しく国会に反映されず、有権者が望むことが政治で行われず、望まないことが行われることがある。その原因は、何と言っても衆議院選挙における各政党に投じた有権者の民意(各党得票率)と結果(各党議席率)の間に大きな乖離が生じていることにある』と述べている。(「公明」161号(2019年5月号))

既存の政治に不満を募らせ失望した有権者が、より極端な主張をする政治に期待を向ける。そうしたポピュリストと言われる政治家の多くは、敵をつくることで自らの正当性を主張するという手法をとるが、それによって同調する有権者も排外主義へ進んでいってしまう。そんな構図が欧米の民主主義先進国と言われる国々で発生しているし、我が国でもそういった様相がいくつも見られる。

現行の小選挙区制度は、そうした有権者の不満と失望を解消し、民意を政治に反映できる制度ではないのは明らかだ。
「分断」を終わらせるための方法の一つとして、選挙制度はもう一度改革が必要な時期にきている。

 

(参考)日本社会における格差の広がりとその対策
http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~tetsuta/jeps/no4/Kuramitsu.pdf

「基金」についての不毛な議論に終止符!

立川市議会として毎年行なっている議員研修会が本日開催されました。

今回の研修会は「予算」をテーマに、講師に関西学院大学教授の小西砂千夫先生をお招きしました。

研修会では冒頭、これまで様々な地方自治体の財政を分析してきた小西教授から、立川市は「極めて特殊な財政状況」であることが述べられました。

その特殊な状況とは「極めて恵まれている(財政が良好である)こと」。なかでも起債(市債を発行してお金を調達すること。つまり借金)できる余地もまだまだ残されている立川市の財政は「ほとんど現金主義会計に近い」とも言及されました。(さらにそういった財政状況であるので、立川市での今後の大きな課題である公共施設の更新についても「起債で前倒しして行っても問題ないと考える」との考えを示されました。)

小西教授は現在の地方財政について「東京都の一人勝ち」としたうえで、立川市も含め東京都が反対をしている国による都財源の地方移譲(東京都では「召し上げ」とも形容している)については賛成の立場をとっているそうです。

その理由は、本当に切羽詰まった地方財政を見てきたことによると言います。

市民が利用する一階のフロアのみ照明がつき、二階以上は電気がつけられずに、パソコンディスプレイの明かりを頼りに仕事をしなければならないような役所がある現実を目の当たりにしたとき、そういったところに財源として分配するのはやむを得ないという考えを持つに至ったとのことでした。

とくに平成20(2008)年に起きたリーマン・ショックでは、全国の自治体が財政的に大きな影響を受けました。

以降、地方自治体はいざというときの財政に備えるための基金(つまり貯金。特定の使いみちを決めていない財政調整基金という貯金)を積み立ててきており、全国的には規模の小さい自治体ほど多く基金を積んでいる、という傾向があります。そのなかで立川市は、リーマン・ショック以前からこの財政調整基金を着実に積み立ててきており、その額は標準財政需要額(自治体規模ごとの標準的な支出額)の20%という独自の目標を達成している状況です。

一方で、この基金というのは貯めればいいというものでもありません。

税金というのは、簡単に言えば、みんなでお金を出し合って生活をよくしていくために使いましょう、というもの。

それを貯める=使わないということであり、お金を出した市民がその利益をその時点では受けられない、ということになります。5年後に立てる市民会館のためにお金をためる、ということであれば、とりあえず5年待てば利益をうけられます。しかし、いざという時の貯金ということは、言い換えればいつ使われることになるかわからない。もしかしたら、自分が生きている間に使われないかもしれません。

ですから、基金を積むというのは、納税者(=市民)に対してしっかりした説明が必要です。

しかし、この説明が難しい。なぜなら、どれくらい貯金があれば安心であるのか、という基準がどこにもないからです。

さきほど立川市の財政調整基金は、標準財政規模の20%を目標にしてきた、と書きました。これは財政において、基金の必要額として示される一つの基準です。ですが、なぜ20%なのか。実はこのことについては、誰も考えを示していません。財務省も総務相も。立川市も当然これまで示してきませんでした。

私はこれまで、議会で「基金を積む以上はその根拠を示すべきだ」ということを行政に再三求めてきましたし、私なりの考えも示してきました。

一方では、行政がその考えや根拠を示してこなかったが故に、議会では一部から「そんなに貯めるのではなくて、もっと今の市民サービスのために使うべきだ」という意見も主張されてきました。

「貯めるべきだ」「いや、使うべきだ」。そこに根拠がない以上、ここは言う側の考え、さらに言えば感情にしかならず、この基金の基準については、これまで不毛なやりとりが議会で続けられてきました。

基準が示されてはじめて、その基準に対しての適正性の議論ができる。生産性のない議論はやめにしたい、という思いで、この基金の基準についての考えを、これまでも私なりに示してきたわけです。

今回お招きした小西教授は、そうした地方会計について見識が深く、さらに新著(「自治体財政の知恵袋―議会答弁や住民説明に役立つ」(ぎょうせい刊))では持論として、財政調整基金は標準財政規模の20%は必要で、さらに不交付団体はそれ以上の積み立てが望ましい、ということを書いております。そこでこの論争に終止符を打つべく!今回の研修会で、小西教授にこのことについて質問しました。

「財政調整基金の必要額を標準財政規模の20%としてる根拠について教えてください」。小西教授の答えですが、結論的には20%の根拠について、いわゆる経験値、体感的なものであるということでした。

そのうえで、不交付団体というのは、交付税が入ってこないということでは財政的に自立しなくてはいけない、ということであるが、一方で良い面もある、とも述べられました。なぜなら、歳入(収入)の予測ができるから、ということです。

もちろん、国から交付税が入ってくる交付団体である自治体も、次の年の歳入を予定して予算を組みます。

しかし昨今、国の財政の方向性として交付税をあてにできなくなってきている現状があるのも事実で、交付税に頼った自治体運営はますます難しくなってくるはずだと言います。

一方で立川市では、そうした国からの交付税を計算に入れない分、将来予測がしやすい、ということでした。

立川市の人口が来年あるいは数年で大幅に増加する、ということはないわけで、つまり景気予測で法人(企業)と市民からの税収がある程度予測できることになります。(実際には税体系が変わることで収支に大きく影響することがあり、予測も簡単ではないのですが、この場合はざっくり言うとという話です。)

そうしたなかで、経済の大きな落ち込みにたいしても減収予想から必要な基金の割り出しができるのはないか、ということでした。

ここでわたしはこれまで懸念してきた疑問をぶつけました。

それは災害時の固定資産評価についてです。

立川断層が実際にあるかどうかわからないが、たとえば立川市が震源になるような大規模な災害があったときには、固定資産評価は大きく下がることが予想される。それは市の固定資産税収入に大きく反映していくことになるだろう。では、それに対応するような基金というのは、どれくらいの規模と考えるか。

これについて小西教授は、少し考えたあとに言われました。

「それに対応する基金を積むのは無理だ。」

そのような事態になれば、立川市も不交付団体ではいられず交付団体になってしまうと思いますし、一時的だとしてもそのときは国から災害復興などのお金が入ってくるはずです。しかし、それもどのくらいかは計算が難しい。

つまり、いざというときの基金規模にも限度がある、とのことでした。

大災害では、基金も焼け石に水かもしれない。そう考えれば、大災害に対応するものでなく、あくまでも経済的な急変に対応できる規模、というのが基金の役割ということになるでしょう。

そしてその基金の必要額は、専門家の経験をもとに算出して「標準財政規模の20%(+α)」ということです。

立川市がその額に達していることを考えれば、現状は適正であり、財政調整基金の積み増しはいったん終了でいいでしょう。

そしてこれまでの不毛な議論も、これで終了できるのではないでしょうか。